"神童" と呼ばれた子供たちは、長年にわたり我々の想像を覆してきました。5歳にして1,000冊以上の本を読んたダリヤ・マリー・アラーナや、若干10歳で世界を変えようとしていたアディシン・ゴスなど、世界には大人の想像もつかないような才能を持つ子供たちであふれています。そして今から15年ほど前、世界は "リトル・ヘラクレス” として親しまれたリチャード・サンドラックという8歳のボディビルダーにすっかり魅了されていました。この少年は、8歳とは思えない筋肉隆々な肉体で知られており、"世界最強の少年" とも呼ばれるようになりました。しかし、かつての若きボディビルダーは大人へと成長し、意外な道を歩んでいます。”リトル・ヘラクレス” に一体何が起こったのか、そして現在の姿はどうなったのか。ぜひ最後まで読んでみてください。
1. 期待を裏切った少年
人間がこのような肉体になるには、かなりの努力が必要であることは皆さんもご存じでしょう。毎日の筋トレに時間や労力を費やし、食生活も厳しくしなければなりません。アーノルド・シュワルツェネッガーやドウェイン・ジョンソン、ルー・フェリグノのような "神々しい" 肉体を目指すのであればなおさらです。
写真に写る少年は、非常に幼い頃から肉体改造に取り組み始めました。わずか8歳で世界を制覇したリトル・ヘラクレスでしたが、すぐに姿を消してしまいました。一体その少年はどこへ行ってしまったのでしょうか。
2. すべては血筋から始まった
まずは彼の生い立ちを見てみましょう。リトル・ヘラクレスは1992年に生まれました。彼の両親であるレナとパベルは、息子をリチャード・サンドラックと名付け、幼い頃から活発に育てることを重要視していました。リチャードはウクライナで生まれ育ち、そこでボディビルの道を歩み始めましたが、実は人生の大半はアメリカで過ごしています。
母親のレナはエアロビクスのインストラクターで、父親のパベルは格闘技の愛好家でもありトレーナーでもありました。そのため、リチャードが幼くしてボディビルを始めたのも不思議ではありません。彼は両親がおこなう厳しいトレーニングを一緒にこなしていました。
3. 拠点をアメリカへ
両親と一緒にトレーニングを始めてわずか2年で、リチャードはまったくの別次元に到達しました。世界には自分の子どもに非常に大きな期待を寄せる親がいますが、リチャードの両親も例外ではありませんでした。サンドラック一家はウクライナを拠点としていましたが、リチャードのためにアメリカへ渡り、新しい生活を始めることを決意したのです。
そして一家はペンシルベニア州へと引っ越しました。そこが息子を育てるのに最適な場所だとレナとパベルは考えたからです。そして引っ越してすぐに、両親は新たな仕事を見つけることができました。また、一家にとって長時間運動しないでいることはあり得ないので、すぐに近くのジムを探したそうです。
4. 父親によるトレーニング
その後、リチャードの父親は息子にテコンドーを教えることにしました。レッスンを始めて間もなくして、パベルはリチャードが特別な存在であることに気づき、驚きを隠せませんでした。彼の動きの覚え方はこれまでのどの生徒とも違っていたのです。
リチャードは自分の動きを完全にコントロールしており、武術を習得するのに必要なバランス感覚と精神力を完璧に兼ね備えていました。さらに彼は覚えが非常に早く、父親にとっては予想外ではありましたが、とても喜ばしいことでもありました。そしてある時パベルは、息子の体重を増やしていく必要があると考えました。これが周りから疑惑の目を向けられ、ひどい噂を立てられ、ついには警察に通報されるという苦悩の始まりとなりました。
5. 生まれ持った才能が開花した
彼はリチャードに、体重を増やす方法や、体重を増やすために必要な技術的なストレッチや動きを少しずつ教えてゆきました。しかしリチャードはまるでそのために生まれてきたかのように、すべてを難なくこなし、学んでいったのです。彼はレッスンを受けるたびに上達していったため、家族は再び拠点を移すことを決意しました。
今度はカリフォルニア州へ引っ越すことになりました。パベルには息子の人生においてのビジョンがあったため、それに適した場所に住む必要があったのです。パベルは素晴らしい格闘技の技術を持っていましたが、息子の技術レベルをさらに引き上げるためには、プロによるトレーニングが必要だと考えていました。そこで彼は、息子に合ったトレーナーを探し続け、ついにフランク・ジャルディーナという唯一無二の存在を見つけたのです。
6. トレーナーからも他とは違うと認められる
フランクは素晴らしいトレーナーでした。自分のジムをフランチャイズで経営しており、数十年にわたるボディビルの経験もありました。さらに、フランクはリチャードが次のレベルに到達するために必要なトレーニング道具や器具をすべて揃えていたのです。パベルは最高のトレーナーを見つけたことに喜び、リチャードをスターダムにのし上げるために最高のトレーニングを受けられることを願いました。
フランクもリチャードに会ってすぐに、何か違うものを感じたようです。パベルとフランクは意気投合し、リチャードを別のレベルへ引き上げるべく協力し合うことを決意しました。その後フランクはすぐに、リチャードがこれまで以上に成長できるようなトレーニングプランを考え始めました。
7. 子供の体をそんなに鍛えて大丈夫なのか?
このトレーニングプランがうまくいけば、リチャードは全身の筋肉を鍛えることができます。フランクとパベルは、リチャードが世界最年少の最強ボディビルダーになれるよう、二人で努力していくことを約束しました。リチャードのスキルや才能をもってすれば、それは不可能な夢ではありませんでした。
その夢を叶えるため、二人はリチャードを子供ではなく大人と同じようにトレーニングすることにしました。そんなことをして大丈夫かと思うかもしれませんが、毎週のようにリチャードの肉体は進化していったので、彼らがやっていることは効果があるように思えたのです。しかし、両親がやっていることの倫理性に疑問を抱く人が出てこないわけではありませんでした。
8. 彼の強さが証明された瞬間
6歳になったリチャードは、普通の子供とはまったく違う体つきになりました。当然のことながら、筋肉がつけばつくほど、周りからの注目を浴びるようになります。好奇心を持った人々が、筋骨隆々の少年に近づいてくるようになったため、パベルは息子を有名にする計画が功を奏したことを確信しました。ほどなくして彼は "リトル・ヘラクレス" と呼ばれるようになりました。
誰もがリチャードが強い子供であることは容易に理解できましたが、6歳にして約80kgのベンチプレスを上げるという驚異的な記録を達成したとき、皆が言葉を失いました。つまり、リチャードは大人のカンガルー1頭分の重量を持ち上げることができたのです。
9. 若くしてウエイトの世界記録を打ち立てる
普通の大人がこの重さを持ち上げるのに苦労するのに、小さな子供が出来るだなんて信じられません。しかし、これはすべての始まりに過ぎませんでした。リチャードはますます強くなり、自分の持つ世界記録を更新することを決意したのです。案の定、8歳になったリチャードは約95kgものウエイトを持ち上げられるようになり、再び世界に衝撃を与えました。
さらに信じられないことに、彼は苦労することなく95kgものウエイトを地面から持ち上げたのです。世界はリチャードの栄光に沸き立ちましたが、そこに至るまでの努力を見た人はほとんどいませんでした。彼がスポットを浴びる裏側でどんなことが起こっていたかを知ったら、物事が違って見えてくるかもしれません。
10. リチャードは虐待の被害者だった
リチャードはまだ幼い子供でありながら、毎日過酷なトレーニングをこなしていました。毎日のようにジムに通い、フランクに限界まで鍛えられていたのです。それに加えて、リチャードは家でも父親に指示された厳しいトレーニングをこなしていました。
毎晩、ジムから帰宅すると父親は息子に、腕立て伏せ600回、スクワット300回、腹筋600回をするように指示しました。そして、それをこなして初めて彼は休むことができたのです。その結果、リチャードはかなり過酷な子供時代を送ることとなりました。激しい運動の結果、子供としてはバランスの悪い不健康な生活になってしまったのです。世界中が彼の肉体美に夢中になっていましたが、人々が厳しい質問をし始めるまでにはそう長い時間はかかりませんでした。
11. 両親がジャンクフードを食べているところを見させられる
彼の生活のあらゆる面が、毎日のトレーニングに支配されていました。レナとパベルは、リチャードが同年代の子どもたちと一緒に過ごすことを禁じ、公園で遊ぶことも禁じました。子供時代のほとんどをトレーニングに費やしていたため、彼には友達もできず、引っ越し先でも同年代の子たちと出会うことはできませんでした。
それどころか、食事の内容まで親に決められていたので、他の子供たちがお菓子を食べていてもリチャードはお菓子とは何であるのかさえ知りませんでした。しかし、リチャードは両親とトレーナーに自分のことを誇りに思ってもらいたいという気持ちが強かったので、不満は一切口にせずにトレーニングを続けました。
12. 世間の目が変わり始める
リチャードの食事は、主に赤身の肉、果物、野菜のみでした。もし食事以外の時間に空腹を感じたら、レタスの芯のみ食べることが許されたそうです。さらに、彼の両親はそこまで厳しい食事制限をしていなかったので、息子の前でピザやハンバーガーなどのジャンクフードを食べていたとも言われています。
その頃から人々は、この異常な家族に疑問を持ち始めたのです。名声が高まるにつれ、彼がこれほどまでの肉体を作り上げるために周りが知らないところでどんなライフスタイルを送っているのだろう、と訝しむ人が出てきました。
13. これは自分自身が選んだこと
人々はリチャードのたくましい筋肉に感動しましたが、彼はまだ子どもだったのです。そして間もなくして、人々はリチャードがカメラに映らないところでどんな生活をしているのかと、心配するようになりました。特に、子供のボディビルダーが自身の厳しい食事とトレーニングについて何も言わないのか?父親が名声のためだけに息子に無理矢理トレーニングさせているのではないか?という疑問が絶えませんでした。
しかしパベルは、息子に無理矢理トレーニングさせているなどという非難について、いつも公に否定していました。リチャードがこの件について質問された時、彼もはまた、このようなトレーニングやライフスタイルは "ほとんど自分自身が選んだこと" であり、誰からも強制されることはなかったと答えました。そして、父親の行動を擁護し続けたのです。
14. 自身を極限まで追い込む日々
リチャードにとって、父親が決して自分に無理強いをしたことはなかったということを世間に知ってもらう必要がありました。すべては完全に同意の上で行われてきたというのです。いずれにせよ、自分が何かの頂点に立つには多くの努力と忍耐を必要とします。特にアスリートであればなおさらです。我々自身がアスリートでなくても、ある一定の競技レベルに達するためには、かなりの時間をかけて厳しいトレーニングをおこなう必要があることは容易に想像がつくはずです。
実際、自身の生涯を特定のスポーツに捧げたアスリートも少なくありません。リチャードもわずか8歳でしたが、その例外ではありませんでした。しかし、同年代でこれほど熱心な人はいないという意味で、彼は他の選手と一線を画していました。
15. 別次元に到達したリチャード
しかし悲しいことに、身体を極限まで追い込むと、どんなに気をつけていても心身に何かしらの悪影響を及ぼすことがあります。過酷な生活の結果、多くのアスリートが後遺症を負ったり、精神的に病んでしまう人もいます。リチャードが "自分のトレーニングは自分でコントロールしている" と言っても、多くの人は納得しませんでした。
リチャードの人生は常に変化しており、10歳になると彼の名声はまったく別のレベルに到達していました。 "リトル・ヘラクレス" という名称は世界中に知れ渡り、誰もが彼に会いたがり、彼自身や彼の私生活についてもっと知りたいと熱望しました。しかし、誰もがリチャードのことを理解し、受け入れたわけではなく、何か違法なことが起きているのではないかと疑う人も出てきたのです。
16. ショービジネスにも進出
当時、パベルは自身が立てていた計画を成功させ、息子は世界的な名声を手に入れたと確信していました。 リチャードの名声はさまざまな形でもたらされ、家族全員がすぐにその恩恵に浴するようになったのです。お金はもちろんのこと、ほとんどお金をかけずに世界中を旅することができました。そしてリチャードは世界中の大会に参加するようになり、大規模な撮影にも招待されるようになりました。
若きボディビルダーは数々の有名ブランドのアンバサダーにもなり、まさに金のなる木となったのです。そして2009年、彼自身の半生を描いた映画 "リトル・ヘラクレス 3D" の主演を務めることとなり、大ブレイクを果たしました。
17. 家族の絆
人々の好奇心が高まるにつれ、リチャードは家族や家での生活について多くの質問を受けるようになりました。特に、両親が彼のライフスタイルにどれだけ口を出してきたか、そして彼がどれだけ自身を律して生活してきたかについて聞かれることが多かったそうです。その質問に対し、リチャードは毎回同じように答え、さらにボディービルの世界で自身の肉体を最高の状態に鍛え上げるために応援し続けてくれた両親に感謝したのです。
そして、"自分の意志ですべてのことから離れることもできるけど、ただ、まだそうしたくない" とまで言っていました。母親のレナも、リチャードに無理矢理トレーニングをさせたのかという質問を受けました。ですが彼女はリチャードの意見に同意し、息子と夫が世間に話したのと同じ話をして彼らがウソつきではないことを裏付けました。
18. いくつもの情熱が重なり合う
レナは、息子を有名なボディビルダーにするために何かを無理強いしたことはなく、すべての決断は自発的で、ある程度戦略的に行われたと述べました。人によってはあまり納得のいく答えではありませんでしたが、有名な家族にこれ以上疑問を持ち続ける理由もありませんでした。そして、リチャードはボディビルダーとしてあちこちで話題になり続ける中、ある日突然自分のルーツに戻ることを決意したのです。
この世界に入ったのは武術がキッカケだったため、そこに戻るのは理にかなっています。そして、武術の動きをボディビルに取り入れる方法を教えてくれた父親のもとで、再びトレーニングを開始しました。
19. 一体裏では何が起こっていたのか?
この2つのスポーツを両立させたことで、リチャードの肉体はますます鍛え上げられました。特に他のプロスポーツ選手と比較して、彼は非常に集中力があることで知られています。彼のスキルは強化され、幅は広がるばかりで、まさに誰も "リトル・ヘラクレス" を止めることはできませんでした。彼は名声を手にし、富を築き、そこからさらに成長しているようにも見えました。しかしそれでも否定的な意見を言う人は後を絶ちませんでした。
残念ながら、名声と富には否定的な意見や批判がつきものでした。この時人々は、彼が若くして名声を得たのは、何かとんでもない方法を使ったのではないかと心配するだけでなく、疑い始めてもいたのです。彼の両親は、このかわいそうな少年に一体何をしたのでしょうか?
20. 両親への非難
ファンや世間の人々は、彼をこの世界に無理矢理入れた両親を非難し、リチャードはまだ若すぎて全てを受け入れることができないのではないかと心配しました。その分野の専門家たちは、まだ体が発達していない時期に肉体改造をすることで体に長期的な影響を及ぼす危険性について警鐘を鳴らしました。
また、リチャードのことを思い、自分の体を張って父親の夢を追うのではなく、自分の道は自分で切り開くべきだと主張する人もいました。しかし、これはリチャードに限ったことではありません。一流になった子供たちの中にも、その名声によって反発を受ける人は大勢いたのです。
21. それでも良い面だってある
人々が最も懸念していたことは、もし子供をそんな厳しい状況に追い込むとしたら、名声と富は対価として見合っているのか、ということでした。ですが、すべての意見がネガティブで、みんなが悪口を言っているわけではなく、彼をサポートをしようとするポジティブな人たちもいたのです。
そのような人たちは、この状況がもたらすポジティブな効果、特にこのような真剣勝負の場に子どもを参加させることの良い面を見出していました。子どもは幼い頃からやる気と努力を学び、大人になってからも必要な能力を培うことができるのです。実際、現代の子供たちはそのようなプレッシャーに対応する能力が欠けているという意見もあります。
22. これは正しい決断だったのか?
もうひとつの良い面としては、子どもたちがかなり早い時期に自分のお給料を稼げるようになることで、長期的に彼らの将来が保証されることです。そのお金は、子供たちだけでなく家族全員にとって、将来必ず役に立つはずです。
このように、リチャードは自分のキャリアに関して特に不満はなく、これまでの実績を生かそうと考えているようでした。名声と私生活を両立させる術も身につけ、幼いながらも自分が稼いだお金を上手にやりくりしている、そう思われていました。
23. それでもお金は入り続ける
ほぼ毎週のように、世界中のショーから招待され、各企業からスポンサーを依頼されることが続きました。実際、リチャードがすべての依頼を受けることに苦労した時期もあったほどです。リチャードは、ジムへ通い続けていなければ、このような状況には到底たどり着くことは出来なかっただろうと自覚していました。
しかし、その名声が永遠に続くということはよほどのことがない限りあり得ません。 世界各地からオファーがありたくさんの注目を浴びるようになりましたが、私生活でも仕事でも、少しずつ不安定な状況が続くようになりました。まだ若かった彼にとって、この時の状況はまさに "いっぱいいっぱい" だったのです。
24. ついに家族に逮捕者が出る
突然、リチャードはジムに行く気がなってしまいました。そしてトレーナーのフランクも、父親のパベルに違和感を覚え始めたのです。すると坂を転げ落ちるように状況はおかしくなり、今までおこなっていたトレーニングや計画を遂行できなくなりました。世間もリチャードのニュースばかりで嫌気がさしていたので、徐々に興味を失い始めました。そればかりか、家庭内でも問題が起き始めたのです。
突然、パベルが家庭内暴力で逮捕されたとニュースになったのです。パベルは刑務所に入り、レナは一人で名声と富とは裏腹に、まだ子供であるリチャードを育てなければならなくなりました。一家の生活は完全に崩壊してしまいました。
25. 彼の人生で一番つらい時期
母親のレナは、リチャードにボディビルを続けるよう懸命にお願いをしましたが、もう彼の中では限界が来ていたようです。レナは夫ほど厳格ではなかったので、リチャードのトレーニングや食事制限にあまり関わっていませんでした。すぐに、人々は彼らの生活が上手くいっていないのではないかと気づき始めました。
リチャードは世界中の健康に関する専門家に連絡し始めました。彼が今までおこなってきたトレーニングが、将来自分に与える影響について心配していたのです。この時、リチャードの体脂肪は1%しかなく、深刻な健康上の危険性があったのです。専門家が本当に心配していたかどうかは別として、調査は嘘をつきませんでした。
26. 噂の独り歩き
リチャードの人生についておかしな噂が流れ始めるまで、そう時間はかかりませんでした。男の子は成長するにつれてテストステロンという成分が多く分泌されるようになるのですが、リチャードは同年代の男の子と同じような体の発達を遂げていなかったのです。専門家は彼を心配し、世間の人々は幼い男の子があんなに筋肉をつけるのは不可能だと噂し始めました。それにより事態はさらに悪化してゆきました。
人々は、リチャードが違法な薬物を摂取してあの体を手に入れたんだと主張し、彼が今日まで懸命に体を鍛えてきた努力を否定したのです。この噂はリチャードにとって非常につらいことでした。彼は強い少年でしたが、噂は彼を壊してしまったのです。
27. "普通" の生活を送る
この悲劇も、彼がボディビルビジネスに興味を失った理由のひとつであることは間違いありません。結局、彼は長期の休養をとり、家でのんびりと過ごすことでこれまで味わうことのできなかった自分の時間を楽しむことが出来ました。彼はもう10代の若者で、そろそろ "普通の若者" としての人生を歩むべき時期だったのです。
リチャードは友達との時間が増え、同年代の人たちがすることを初めて経験しました。それは彼にとって未知の領域でした。しかし、トレーニングを完全に止めることは難しかったので、私生活とのバランスを取りながらトレーニングを続けました。
28. 自分のこれからについて向き合う時
ボディビルの世界から離れたのは本人の意思ですが、新しい生活に慣れるまでには少し時間がかかったようです。毎日筋肉を酷使することに慣れていた彼の体は、突然負荷のない時間ができたことでちょっとしたショックを受けていました。ですがその分、今まで考える時間がなかった他のことに目を向けることができるようになりました。
世界は広いし、とにかく財を成したのですから、無限大の可能性が彼の目の前にはあるのです。しかし1つだけ気になることがありました。それは、 "自分の人生をどうしたらいいのか" が分からないということです。
29. 何から始めればいいのか?
これまでジム一筋の人生だったので、自分が他に何を好きなのかさえ分かりませんでした。ただ、アクティブでいたいということだけは確かでした。また、大学や会社勤めは自分には向いていないとも思っていたそうです。やがて、リチャードにキャリアの道を歩み始める機会が訪れます。なんとユニバーサル・スタジオから仕事のオファーがあり、彼はそれを一つ返事で快諾したのです。
彼は "ウォーターワールド" でスタントマンを務めました。そこで彼は、これまで培ってきた数え切れないほどのスキルを発揮しました。この仕事には勇気と技術が必要でしたが、それでもリチャードはとても幸せで満ち足りていました。
30. ハリウッドでの新しいキャリア
確かにこの仕事にはリスクがつきものですが、それでも彼は幸せでした。特に火を扱う場合は身の安全を心配することもあったそうですが、それでも彼は今の仕事でも成功しようと決めていました。実際、2015年のインタビューで彼は、初舞台の日に厳重な安全対策が施されていたことを明かしました。この時彼は完全に油断をしていたしyですが、それを見て "いっちょやってやろう!" と決意したそうです。
彼が "リトル・ヘラクレス" から完全に脱却するのは本当に大変なことでした。しかしそのおかげで世界的に有名になり、子供の頃には考えもしなかったような次元にまでたどり着くことができたのも事実です。
31. アクティブに過ごし続ける
今日に至るまで、彼は自身の人生における功績をとても誇りに思っています。多くの人が反対してきましたが、彼は自分が歩んできた道を恥じていないと断言しています。今はもう以前のようなトレーニングはしていませんが、その経験で身につけた複合的なスキルは、大人になった今、様々な場面で役立っているそうです。
そして彼は今も現役です。かつてのような "神々しい" 肉体でいからと言って、ジムに通っていないわけではありません。仕事だけでなく、健康維持のためにも運動は欠かせないのです。
32. 幸せな暮らしを送っているリチャード
そのため、リチャードは今でもカリフォルニア州内のさまざまな場所でトレーニングをおこなっています。ビーチでランニングをしたり、階段を上り下りするのが好きなんだそうです。また、スケートボードも大好きで、遊歩道でスケートボードをしているところを1、2度目撃されたことがあるとか。体力維持のためほぼ毎日懸垂もしているそうですが、元ボディビルダーにとってはそれほどキツいことではないでしょう。
正直なところ、彼は年齢の割にはそれなりに素晴らしい人生を送ってきたと思います。世界的に有名になり、普通の人なら絶対にできないようなトレーニングをこなし、自分の人生を描いた映画まで作られたのですから、これ以上望むものはないでしょう。
33. 人生の目標とは
ボディビルの世界で成功したリチャードですが、今度は知識の世界で成功することを決意しました。量子科学者としてのトレーニングを受けながら、いつかNASAの宇宙プログラムに参加するのが夢だそうです。無謀な夢のように聞こえるかもしれませんが、彼は何かに打ち込めばどんなことでも成し遂げられるということを、すでに証明しています。
しかしそこに至るまでの道のりは前途した通り、決して楽なものではありませんでした。リチャードは、特に幼少期から気の遠くなるような人生を送ってきたのですから。彼は今でも "すべて自分の意志でやった" と主張していますが、それが彼の心身の健康を考えたものであったかどうかは疑問でなりません。
34. 現在のリチャード
あれだけの経験を経て、これほど安定した若者に成長した彼は、我々に自信を与えてくれます。彼の話によると、彼の人生まだ始まったばかりだそうです。一度成功したのですから、もう一度やらない手はないでしょう。近い将来、NASAの新しい仲間として、決意とやる気ある若き "リトル・ヘラクレス" を見れるかもしれませんね。
数年後か数十年後かは分かりませんが、必ず彼は目標を達成すると信じています。そうでなくとも、彼はすでに素晴らしい遺産を残していることに疑いの余地はありません。彼はかつて、10歳にも満たない年齢で史上最も有名なボディビルダーの1人だったのですから。